自分より、大きな手。
ごつごつした男の人の、手。
いつも、いつも。
私の手をしっかりと握って離さない―――――。
先生から差し伸べられる度に心が弾んだ。
そして、いつの間にか当たり前になった。
二人並んで歩くときは、どちらからともなく手に手をとってしまうほどに。
「かっ、かか神谷っ?!」
「斎藤先生?どうかしました?」
「ど、どうって、て、手が……!」
「手?」
斎藤と二人で並んで道を歩いていた時だった。
突然何かに驚いたような声をあげた斎藤に、セイは首をかしげた。
「あっ!す、すみません!私、いつの間にか……」
セイはその時やっと自分が斉藤の手を握っていることに気づいた。
慌ててその手を離す。
内心嬉しくもあった斉藤はあっという間に解かれた手を少し残念に思った。
「い、いや……別に構わないといえば構わないのだが………神谷?」
「誰も、いませんよね……っ?!」
斎藤から手を離した途端、セイはきょろきょろと辺りを見回していた。
なんだか何かに怯えている風でもある。
「はぁ……大丈夫かな」
「一体どうしたんだ?」
「いや、あの……お話することでもないんですが………」
「兄にも話せぬ事か?」
そう言われては、話さずにいられないセイだった。
むろん、そういうセイの性分を知っていて斎藤は自分を兄と言ったのだが。
「えと……その、沖田先生が………」
ぴく、と斉藤のこめかみが動いた。
(また沖田総司か……!!)
斎藤は面白くないと思いつつ、セイと総司に何があるのか気になって問いかけた。
「沖田さんがどうした」
「じつは私……最近誰かと並んで歩いているとき、今みたいに無意識に手を握ってしまうことが多くて……。それがどこから知れるのか沖田先生はいつもご存じで、度々叱られるんです」
「なるほど……それで今誰か見ていた者がいないかどうか探ったのか」
「はい。あ、そういうわけなので、今のは内緒にしてくださいね」
「今のとは、手を握ったことをか?」
「はい。二人だけの秘密にしてくださいね、兄上っ」
どっきゅん。
(何故そんなに可愛いのだ、神谷……!)
上目遣いに頼まれて、断ることなど不可能な斎藤だった。
そして、水浴びをすべくその場を走り去ったのは言うまでもない。
合掌。
「神谷さん」
「えっ、あっ、はい!」
屯所に戻ってからすぐに総司に呼ばれたセイは一瞬ぎくりとした。
それでも今日は大丈夫だと思いながら、総司の側へ駆け寄った。
「なんですか、沖田先生」
「……あなたまたやったでしょう」
「何をですか?」
「しらばっくれても駄目です。今日、斉藤さんと手を繋いだでしょう?」
「えぇっ、なんでそれを……!」
「やっぱり……」
「って……あー!沖田先生、カマかけましたね?!酷いじゃないですかっ」
「最初から答えないあなたが悪いんですよ」
「~~~もうっ!いいじゃないですか、私が誰と手を繋ごうが!」
「よくありませんよ!変な誤解受けたら困るのはあなたでしょう?!」
「うっ、それは…そう、ですけど……でも、沖田先生うるさすぎだと思いますっ」
「……そうですか。じゃあ、もう私は何も言いませんよ」
ぴしゃりとはねつけるように言い終わると、総司はセイに背を向けその場を立ち去った。
呼び止めようとしたセイの手が、空を握った。
沖田先生、最後本気で怒ってた。
どうして?そんなに私が悪いの?
だって手を繋いだくらいなんでもないのに。
それに今日は斎藤先生だったし、何もおこるわけないのに。
こういうとき、沖田先生が解らなくなる。
急に突き放されるとどうしていいか、もうわからない。
「沖田先生のばか……」
ぐしっ。ぐす……っ。
いつもの泣き場所である木にのぼって、セイは泣いていた。
そしてしばらくすると、風もないのに木の枝が揺れて黒い影が現れた。
「やっぱりここですか」
「おき……!」
「私の言い過ぎでした。ごめんなさい」
姿をあらわすなり頭を下げて謝ってきた総司に、セイはとても驚き慌てた。
「え……そんな、先生、私の注意が足りないのがいけないんです!先生は何も……」
総司はセイの言葉を遮るように、手で制した。
そして表情をふっと緩ませ、にっこりと笑った。
「仲直りに甘味でも食べに行きませんか?」
「……!はいっ!」
先ほどまでの泣き虫はどこへやら、一気に花が咲いたようにセイは笑った。
セイの笑顔につられて、総司もまた微笑んだ。
セイへの罪悪感を、その笑顔の中に隠して。
街に出ていつものように並んで歩く途中、セイはおずおずと口を開いた。
「あの……沖田先生?うるさいなんて言って、本当に申し訳ありませんでした」
「ああ、もうその話は終わりですよ。それよりどこのお店に行きましょうか?」
「そうですねぇ……」
やっといつもの雰囲気になったことに安堵したものの、セイはある違和感に気づいた。
(あれ……?)
いつもだったら、二人のときは手を繋いで歩いているはずだった。
だが、今の総司は袂に腕を入れてしまっていて、手は繋げない。
そんな総司にセイはなんだか不安に駆られた。
いつもと違うことに気づかないのかと総司を見上げたが、微笑みを返されただけだった。
それ以上セイは何も出来ず、ただ俯いた。
先生はなんとも思ってないんだなあ。
私が手を繋ぎたいと思うのは、先生だけなのに。
無意識に他の人と繋いでしまうのは。
それは。
先生の手だと思ってしまうからなのに。
好きな人と並んで歩いているのに、何故だか心が冷えて。
行き場のない手が空しかった。
大人げないこと、この上ない。
自分以外の人間と手を繋ぐのが気に入らないからって、泣かしてしまうなんて。
神谷さんと手を繋いだことのある人たちは、みんな口をそろえていう。
『神谷の手は、小さくて柔らかい』
それを聞いたとき、胸をぎゅっと締め付けられるような感じがした。
(……嫌だなあ。私以外の誰かと手を繋ぐなんて)
そんな自分勝手さゆえに、セイを傷つけてしまったことをひどく後悔した。
それなのに、セイは自分がいけないのだと言う。
本当に悪いのは、自分の方なのに。
少し俯きがちに隣を歩くセイを見やると、その手へ視線をおとす。
(自分はよくて、他人は駄目、なんてねえ……。そんなの、おかしいですよね)
その時、セイが耐えかねたように口を開いた。
「沖田先生はどうして手を繋ぐんですか?」
思ってもみない質問をされて、総司は少し驚いた。
「えっと……ただなんとなく繋ぎたいなあって、思って……」
「それは誰にでも感じることですか?」
「いえ…そう言われてみると……」
神谷さんだけかもしれない。
だがなんだか恥ずかしくて、『あなただけです』とは言えなかった。
「一人、だけです……」
総司の言葉に、セイは勢いづいて叫んだ。
「私も!私だって、一人だけです!」
「えっ!?だっ、誰なんです?!」
総司はひどく驚き、思わずセイの小さな肩を両手でつかみかかった。
「……わからないですか?」
セイは怒ったような顔で、総司の手を握った。
いや、正しくは掴んだというべきだろうか。
「今、手を繋いでる人といえば、おわかりになりますか?」
興奮しているせいか、セイは半泣き状態だった。
潤んだ瞳で見つめられた総司は抱きしめたい衝動に駆られた。
けれど、セイの瞳にとらわれて、身動きできなかった。
「………先生と、間違えちゃうんです。先生の手と。……だから」
誰かと無意識に繋いでしまっていたのは、総司の手を求めたせいだ。
あまりにも当たり前すぎたから。 手を繋ぐことが。
「間違えますかねえ……」
「じゃあ、間違えないように離さないでくださいよ!」
やけくそのようにセイはそう言って、さらに力をこめて総司の手を握った。
ぎゅうっと握られても、少しも痛くはない。
むしろ、総司は嬉しく思った。
「離せと言われても、離しませんよ」
「……せん、せ……!」
「あ、これってなんだか口説き文句みたいですね?」
「なっ、何言って……!」
「もし、本気だとしたら、どうします?」
「え……」
ふいに真剣になった総司に、セイは戸惑った。
「や、やだなあ、沖田先生ってば、冗談ばっかり!」
セイは何故か素直に受け取ることが出来なくて、はぐらかした。
総司は小さく溜息をつくとつないだ手はそのままに歩き出した。
「あの……沖田先生……?その……」
「まだ決めてませんでしたね」
「え?」
「甘味屋さん。どこのお店にするか、決めてなかったじゃないですか」
「あ……そういえばそうでしたね」
いつもとかわらない笑顔を見せる総司に、セイもいつもと同じ笑顔を見せた。
並んで歩く姿もいつもと変わらない。
だが、つないだ手がいつしかするりと解かれた。
互いの心が、確かに近づいたはずだった。
けれど何か阻むものを感じて、あと一歩、近づくことが出来ない。
つないでいた手に残る熱が、二人の心の切れ端を焦がした。
―終―
